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エタ・ジェイムズが死去

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エタ・ジェイムズ
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 エタ・ジェイムズが亡くなった。『サムシングス・ガット・ア・ホールド・オン・ミー』やR&Bの定番『アット・ラスト』などの代表曲を持つエタは、白血病により73歳でその生涯を閉じた。2010年に白血病と診断されたエタは、長年の友人でマネジャーだったルーぺ・デ・レオンによると、カリフォルニア州リバーサイドにある病院で息を引き取ったという。

 数年前から認知症と肝臓病を患っていたエタは先月、呼吸困難に陥ったことから病院に搬送されていたが、1月6日には退院していた。「彼女は夫と家族に付き添われて自宅にいます。彼女の状態は安定しています。我々は自宅療養が彼女にとって一番だと考えています」と当時ルーペはコメントしていた。

 エタは10代だった1955年に『ザ・ウォールフラワー(ロール・ウィズ・ミー、ヘンリー)』で初チャート入りした後、1960年にはチェス・レコーズに所属、『オール・アイ・クッド・ドゥー・ワズ・クライ』『マイ・ディアレスト・ダーリン』『トラスト・イン・ミー』『ドント・クライ・ベイビー』など数々のR&Bやポップの楽曲を世に送り出した。そのエタは、持ち歌のほとんどが悲しい内容だといつも感じていると2002年CNNにコメントしていた。「私の歌うほとんどの曲はブルーな気持ちが入っているの。残念な気持ちよ。何に対してだかは分からないんだけどね。全く!」

 キャリアを通じて麻薬中毒と闘っていたエタだが、低迷後1970年にはカムバックを果たし、1984年のロサンゼルスオリンピック開会式ではパフォーマンスを披露した。

 1993年にはロックの殿堂入りを果たしており、90年代はパフォーマンスを続行していた。

エタの晩年の作品は高く評価されており、2003年にはアルバム『レッツ・ロール』、そして2004年の『ブルース・トゥ・ザ・ボーン』でグラミー賞を受賞している。チェス・レコーズを描いた2008年公開の映画『キャデラック・レコーズ』では、エタ役にビヨンセ・ノウルズが起用された。先日行なわれたエタの100万ドル(約7700万円)の遺産後見人を巡る裁判では、エタの息子ドント・ジェームズがエタの夫アーティス・ミルズよりも自身が務めるべきだと主張している。

《RBB TODAY》

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