【インタビュー】元秘書が語るビートルズ「みんなリーダーになりたいって思ってたのかも?」
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
先日東京ドームで行われたポール・マッカートニーの来日公演とタイミングを同じくして本作のイベントが行われた際にフリーダ本人も来日。映画の中でもつねにチャーミングな笑顔を浮かべ、陽気な彼女。周囲を明るくさせるような語り口で、当時の興奮やメンバーのユーモラスなエピソードなども披露している。
―今回、映画に出演することになった経緯を教えていただけますか?
フリーダ:これまでたくさんの人から「本を書きなさい」とかいろいろ言われてきましたが、私はずっと無視してきたんです。ですが、私の娘にナイルという息子、つまり孫が生まれ、娘から「お母さん、お母さんがこのまま何も言わなかったらナイルはお母さんのこと何も分からない。だからナイルのためにも何かを残して欲しい」と言われたんです。私にはすでに亡くなってしまった息子もいるのですが、生前に彼はビートルズの秘書をしていた当時のことを聞きたい、と私にいろいろ言ってきたんですけど、結局彼に何も伝えずじまいでした。人っていうのは、子どもなんかには強く当たったりするけど、孫にはダメですね(笑)。今3歳半ですが、かわいい孫のためならやる。それは誰だってみんな同じでしょう。
―なぜ50年間話さなかったんですか?
フリーダ:ひとつは、あまりにみんないろいろ言ってくるのが煩わしかったから。もうひとつは、「秘書の言うことなんて、誰が聞きたいと思う?」という思いが私の中で強かったからですね。裏方ですから。今回OKしたのは、ずいぶん長い時間が経ったからということがあります。秘書を辞めた直後ではどうもしなかったでしょうね。当時のムーブメントはあまりにもすごかったから、私自身、自分の生活が欲しかった。ビートルズが解散しちゃって、自分の生活を確立しなきゃ、というのが逆に強かったんです。
―なるほど。映画が出来上がってみていかがでしたか?
フリーダ:ライアン・ホワイト監督は頑張ってくれたみたいで、いい仕事をしてくれたと思います。ただ正直言って、画面を見るのが辛いシーンもある。とくに哀しい話が出てきたときは胸が詰まります。あと、ちゃんとお化粧をしてきちんとした格好でカメラの前に立ちたかったわ(笑)。ひょっとしたら私ってまだ心が女子なのかしら?(笑)
―ビートルズとは今どんな関係なんですか?
フリーダ:長い間会っていないし、関係はない。コンサートに行ったりするときに顔を出すことはあります。ただ、秘書をしていたときから会っていた彼らの家族とは、今でも仲良くしているんですよ。来日前の日曜日もリンゴの叔母さんに会ってましたよ。彼らの家族はみんな今でもリバプールに住んでいて、私もマージー河(リバプールに沿う河)の向こう岸に住んでいるので、電車で20分くらいの距離なんです。
―映画の中で、大量に届くファンレター1通1通すべてに返信していたというエピソードがありましたが、なぜそこまでしていたのですか?
フリーダ:やっぱり自分自身がビートルズのファンだったからだと思います。1人1人がどんな気持ちで手紙を書いてくれたかっていうのが分かるから。私があなたに手紙を書いたとして、あなたが返事をしてくれなかったら私がどんなに傷つくか分かるでしょ? 実際には、あまりにも数が多かったので、すぐには答えられなくて、長い時間待たせた人もいました。それでも返事が来たときの幸せ、嬉しさは分かっていたので、どんなに時間がかかってもどうしても答えたかった。ファンクラブ閉鎖と同時に秘書を辞めたあとも、3年かけて残ったものすべてに返事をしました。
―お子さんのために辞められたんですか?
フリーダ:結婚は22歳でして、ビートルズの仕事をしている間に長男が生まれ、2人目の子が生まれるタイミングで辞めました。結婚相手? リバプールのプロのベース奏者でした(現在は離婚)。ビートルズとは関係ないですよ。
―ビートルズのメンバーそれぞれの人柄は、近くで見ていたフリーダさんにどんな風に映っていましたか?
フリーダ:まず、ジョージは、とっても思慮深い人。彼は“静かなビートルズ”と言われていますが、実はそんなにおとなしいわけじゃない。、話すと結構喋るんですけど、非常に思慮深い人ですね。リンゴは“ハッピービートルズ”。メンバーの中でも一番楽しいことを常に探している人。ジョンは、いろんな要素が混ざっていて複雑。そしてとてもに自分に正直な人だったと思います。例えば、彼が沈んでいるときは、無理に彼を元気づけたりなんかする必要はなくて、逆に放っとく必要がある。そんなタイプの人でしたね。ポールはいつも穏やかで、怒った彼を見たことがない。例えば記者会見があるとして、みんなが騒いでいても、ポールがいればきっとうまくやってくれるだろう、と信頼を寄せることができる。質問されてもどのような状況でもうまくきちっと説明ができる、一番頼りになる人でした。
―ではポールが中心、という感じだったんですか?
フリーダ:いえ、とくにそういうわけではなくて。ジョンとポールの2人がそのときどきでリーダーになる感じだったと…いや、でも、リンゴだってときどき引っ張るときもあったし、交代でそれぞれがリードする。それぞれ個性が強いから、まとめるなんてそんな…無理よ(笑)。ひょっとしたらみんなそれぞれで「自分がリーダーになりたい」って思ってたかもしれないわね(笑)。とにかくそれくらい強い個性の4人が集まったっていう感じでした。
―ビートルズが世界的な成功を収めたのはなぜだと思いますか?
フリーダ:当時、ビートルズをリバプールで見た人たちは、彼らは絶対にヒットして有名になるっていうのは思っていました。それは見れば分かるもので、それだけのものを持ってた。ただし、ここまでとは思わなかったですね。当時、エルビス・プレスリーがいて、エヴァリー・ブラザーズがいて…スターたちがたくさんいたわけですが、「ワーオ!」と思ったのは、そういうのとはまったく違ったから。音楽が真新しかったんです。
―世界進出していた彼らを見ていてどうでしたか?
フリーダ:楽しそうでしたよ、みんなすごく。とくに日本なんて、地球の反対側。1つ1つに彼らが喜んでいたのはよく覚えています。
―フリーダさんが秘書としてずっと求められてきたのは何故だと思いますか?私としてはいつも笑顔で明るい雰囲気がメンバーに求められたのかな、と思ったのですが。
フリーダ:アイ・ドント・ノー(笑)。
―ビートルズのマネージメントをしていたブライアン・エプスタインはすぐ人を辞めさせる人だった、というエピソードがありましたけど…。
フリーダ:きっとね、私は落ち着いていて穏やかだったので、そのことがあるからじゃないかと思います、たまに怒ることもあったけれどね。クビって言われたことはないですね、ちゃんと仕事してたし(笑)。
―人生の中で秘書をしていた時期を一言で表すと?
フリーダ:「エキサイティング」。で、どんなにエキサイティングだったかっていうことを、今回この映画でほかの方々にも分かち合いたい。日本のみなさん、とくに若い人が知っている“出来上がっているビートルズ”ではなくて、初期のビートルズをぜひ観にきていただきたいです。
―たしかに、当時のリアルなビートルズを私も感じました。
フリーダ:結局、有名になってしまったあとは、みんな叫んでいたりして、音楽そのものを聴きに行くっていうものではなかったですし、ビートルズの人間としての面白さや、魅力を充分に知ることはできなかった。でも、この映画の中ではビートルズってそういうところからスタートしていて、私にとってのビートルズはその頃のものなんです。スーツ来て出来上がった、固まったものではない。だから、私はみなさんにも生のビートルズを知って欲しいですね。
《奥 麻里奈》
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