80年代に一世を風靡し、伝説のお笑い番組「オレたちひょうきん族」にも出演するなど、関東のお笑い界を引っ張っていた「コント赤信号」。昭和バブルの当時、売れっ子だった3人は“やんちゃをしまくっていた”のだといい、地方公演に行くたびに「ナンパをしまくっていた」ことを告白した。
当時のナンパの手法について、ラサールは「地方で夜に舞台があるときは、昼間にデパートの化粧品売り場に行って、美容部員をナンパしてディスコとかで待ち合わせをしておく」と回顧。
さらに、公演が終わったあとにホテルで芸人仲間らと「(待ち合わせ場所のディスコに)行くぞーっ」って繰り出すときも、「ロビーにいる女の子に、リーダー(渡辺)と島崎俊郎が声をかけてた」とナンパに明け暮れてた日々を明かし、「ディスコでは裸でストリップショーをやって盛り上げてた」と破天荒なエピソードも披露した。
派手に遊んでいたために、当然「週刊誌の餌食になっていた」という3人だが、なかでも一番女遊びが激しかったのは渡辺だったのだという。
渡辺は、スキャンダルを撮られたら、当時は即記者と交渉してもみ消していたことを明かし、「写真を撮られて、これはまずい。何とか抑えなきゃいけないっていうときは、どうしようかなあって考えて、(撮られた記者に)『実は結婚を考えてる人がいる。その人を発表するから、差し替えてもらえませんか』と交換条件を出したところ、のんでもらえた」と昭和芸能界の裏側を激白。しかし、その女性とは結局、結婚に至らなかったことも明かしていた。