20年前、ニュージーランドで生まれた藤田。サーファーだった母は、現地に滞在中、ロシアとポーランドの血を引く男性と恋に落ち、藤田を出産。家族の家はNZ最大の都市オークランドの湖畔にある一軒家。室内には大きなベッドやブランコもあるなど裕福な暮らしを送っていたという。
ところが藤田が3歳のとき、突然両親が離別。母は彼女を連れて帰国し、埼玉で2人暮らしを始めた。
だが、その時に藤田が気づいたのは周囲との違い。彼女は、「友達とか見てて、『あっ、多分、ウチん家ちょっと貧乏なんだなぁ』みたいに感じてて」と振り返った。さらには友達が学校で家族の話をしているときも、「私、そんなにお母さんと会ってない」と、日夜仕事に明け暮れる母と十分に触れあえなかった幼少時代を回顧した。
そんな母を支えたいと思いついたのがモデルの仕事。「いくら稼げるかなんて分からないけど、自分にもできる仕事はあるのかなと、小学生の時に思ってました」と語った。小6でオーディションに合格した藤田。最初仕事は年に数えるほどしか来なかったというが、その後始めたSNSを追い風に、独特のギャルメイクとおバカキャラでブレイクした。
そして母に対し「今やっと恩返しができてる」と語リ、「これからもバリバリ働いて」と決意を述べた藤田。今回、当時住んでいたニュージーランドの一軒家の撮影許可はおりなかったが、「まったく同じ家を建ててやりたいですね」とリベンジを誓っていた。