テレビ初公開!石原裕次郎さんの結婚式の裏側とは?!
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俳優、歌手、映画製作者として、昭和の芸能界、さらには時代そのものをけん引したスーパースター・石原裕次郎さん。同番組では、その死後31年間、今まで語られることのなかった裕次郎さんのあらゆる“シンソウ”が、初めて明かされていく。
まず同番組MCをつとめる坂上忍は、生前、裕次郎さんが過ごした成城の豪邸に、夫人・石原まき子さんを訪ね、直撃インタビューを開始。かつて、日活のトップ女優(芸名:北原三枝)として活躍していたまき子さんは、映画『狂った果実』(1956年公開)で裕次郎さんと初共演。その後、2人は“日活のドル箱コンビ”として多数の作品で共演することになる。裕次郎さんとまき子さんは1960年に結婚したが、当時の芸能界はトップスター同士の結婚はもちろん、恋愛すらもNGという風潮。そんな閉塞感の中、ひそかに交際をしていた2人は、なんと駆け落ち同然のアメリカ婚前旅行へ。番組では2人の結婚式当日の様子を収めた映像を独自入手。坂上が「ちょっと待って、こんなところも映ってるの?」と驚いた、テレビ初公開となる2人の結婚式の裏側に注目だ。
1963年に、裕次郎さんは「石原プロモーション」を設立し、映画製作に乗り出すことに。およそ4億円の製作費を投じた大作映画『黒部の太陽』(1968年公開)が大ヒットするも、その後、主役にハリウッド俳優を起用した映画『ある兵士の賭け』(1970年公開)が興行的に失敗。公務員の初任給がおよそ3万円という時代に、「石原プロモーション」は6億円もの負債を抱えてしまう。まき子さんは苦境に立たされた当時の裕次郎さんの様子や、そんな「石原プロモーション」の窮地を救うきっかけになった、渡哲也の驚くべき行動についても赤裸々に語る。
1987年7月17日に、52歳という若さで永眠した裕次郎さん。葬儀の際に、渡哲也さんは「本日の葬儀をもちまして、私どもは故人の遺言ともなりました“映画製作”に入りたいと思います」と挨拶した。しかし、まき子さんは葬儀では明かせなかった裕次郎さんのもう一つの遺言があったと語る。裕次郎さんが息を引き取る直前に、最愛の妻・まき子さんに遺した最後の言葉とは果たして!?番組では、まき子さんへの直撃インタビューのみならず、裕次郎さんと親交の深かった女優の浅丘ルリ子、裕次郎さんの後輩となる舘ひろし、神田正輝にもインタビューを敢行。貴重な証言の数々や、テレビ初公開を含む膨大な秘蔵映像を交え、裕次郎さんの生涯に迫る。
『直撃!シンソウ坂上』は、フジテレビ系で19日よる9時から放送。
《KT》
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