1985年、『夕やけニャンニャン』(フジテレビ系)で誕生した同グループは瞬く間に人気爆発。86年のオリコンランキングでは52週のうち、グループ全体やソロメンバーの曲が36週も1位を独占。番組も最高視聴率18,1%を記録するなどヒットした。
だがグループは87年、わずか2年半で解散。新田はこれについて「番組ありきのおニャン子クラブだった」と語り、同年の番組終了とともに解散を余儀なくされたと言及。
つまりグループを統括し、メンバーのスケジュールを管理していたのはフジテレビ。だが番組打ち切りによってフジは統括する権限が消滅。そこで新田は、「事務所に所属していない子はどうしたらいいのかという問題があった」と、解散後のメンバーの処遇をめぐる問題もあったと語っていた。
またグループを途中で卒業した新田。彼女はその真相について「『新田、次の夏のコンサートでお前、卒業な』という上からの声でしたね」と、スタッフからの申し出があったと告白。「自分で卒業を決めたのは数人じゃないでしょうか」と話していた。