当時は歌番組の全盛期。1日4~5本のテレビ収録は当たり前だったとか。さらに絶頂期にはアメリカで冠番組を担当。歌あり、コントありの1時間のバラエティだったという。
ここで久本雅美が、「いやらしい話ですが、大スターでアメリカで番組持つって言ったら……儲けたでしょうね」と質問。だが未唯は「事務所は良かったかもしれない」と答えながら、「私たちは完全にお給料制だった」と述べた。
いとうあさこは「あんなに働いてて!?」と驚いていたが、未唯は「最初は(月に)5万円からスタート」と回答。久本はその安さに「1か月? 1か月5万円!?」と声をあげた。
ただその給料も、1年ごとに契約更新するたびに上昇したそうで、未唯は「次が15(万円)、30(万円)になって、そのあと150(万円)とか」と語った。だが久本は「それでも少ないぐらいですよ」と感想を漏らしていた。