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実は、ニコニコ超会議は昨年から仏教とコラボしており、会場の一角には「超テクノ法要×向源」という仏教ブースが存在する。このブースは、名前が示す通り、2つのコンテンツによって構成されていて、1つがステージ上で展開される「超テクノ法要」。もう1つがそのステージ周辺でワークショップなどを実施する「向源」である。どちらも極めてユニークなコンテンツなので、まずは超テクノ法要について書き、次回コラムで向源を取り上げる。
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お寺離れのもどかしさを超えて
「超テクノ法要」は、ニコニコ超会議では「超」が冠せられていたが、通常は「テクノ法要」という。いずれにしても、いちど聞いたら忘れられない、破壊力のある斬新な語感である。私も初めて知ったとき、衝撃を受けた。
百聞は一見に如かずだと思うので、まずはテクノ法要の動画をご覧いただきたい。
この動画は、2017年5月3日に行われた第3回公演のときのもの。テクノ法要の初回公演は、その1年前の5月3日、福井県の照恩寺(浄土真宗本願寺派)で、住職の朝倉行宣さん(51)が中心になって企画された「極楽音楽花まつり」においてである。
だが、「花まつり」はお釈迦さまの誕生を祝うものであり、甘露の雨が降ったことにちなんで、お釈迦さまのお像に甘茶をかけるのが古くからの習わし。それがなぜテクノと結びつくことになったのか。
住職になる以前、朝倉さんはウィークデイには学校の事務局員をして、週末は当時住職だった父を手伝う生活。門徒さんは高齢化が進み、法要への参加者が年々減っていくのに、手をこまねいているだけの日々がもどかしくてたまらなかった。お寺の外に目を向ければ、「(極楽の蓮は)青き色には青き光、黄なる色には黄なる光、赤き色には赤き光、白き色には白き光あり」という『阿弥陀経』の一節からインスピレーションを受けたというSMAPの「世界にひとつだけの花」(2002年)が、世代を超えて大ヒットしていた。表現方法ひとつで仏教はいまも心に響くはずなのに、自分にそれが果たせていないことが悔しかった。
朝倉さんが住職になったのは2015年10月。意を決して、父に「次の世代に仏教を伝えるために、お釈迦さまの誕生を祝う花祭りをやりたい」と言ったら、「やりたいようにやったらいい」と後押ししてくれた。
お浄土って綺麗ね
とはいえ、どうすれば「極楽音楽花まつり」で若い世代の心を惹きつけられるのか、まったく見当もつかなかった。仕方がないので、趣味でやっていたDJのスキルを活かして、正信偈(しょうしんげ)をテクノリミックスしたトラックを作った。音だけでなく、視覚的にも浄土空間を感じてもらうために、クリエイター仲間にプロジェクションマッピングの協力を依頼した。この新しい法要を「テクノ法要」と命名して、Facebookなどで告知したところ、60人ぐらいが来てくれた。そのなかにはお年寄りの門徒さんも含まれていた。「怒られへんかなぁ」と不安もあったが、批判されるどころか「お浄土って綺麗ね」と喜んでくださった。正信偈やお念仏は、一緒に唱えてくださった。その姿を見た時、朝倉さんは「間違っていなかった」と震えた。「続けていこう」と心に決めた。
朝倉さんとしては「バズらせよう」という気負いなどなかったというが、ご本人の意図をよそに、地方新聞の記者が書いてくれた記事は、ネット上を一気にかけめぐった。ニコニコ動画を手掛ける株式会社ドワンゴからも「ぜひお手伝いしたい」と電話がかかってきた。「経典の文字を流して、一緒にお経を唱えられるようにしたい」と伝えると、動画上にコメントをつけるサービスを展開しているから「そこは得意分野です」とのお返事。わずか5分で話がまとまった。技術提供を受け、第3回目のテクノ法要からは字幕が実現し、手元の経本に目を落とさずとも、一緒に読経できるようになった。
株式会社ドワンゴとの付き合いはその後も続いた。そして、テクノ法要をはじめお寺コンテンツの生中継は視聴率が高いことから、「ニコニコ超会議にも出てほしい」という昨年のオファーにまで至ったのである。
仏教はクリエイターと創るもの
私が思うにであるが、テクノ法要の衝撃は、そのネーミングのインパクトもさることながら、「法要」というもっともアンタッチャブルだと思われていた領域を、テクノミュージックや現代のテクノロジーによって完璧にハックしたことである。
この10年、仏教はさまざまなものとコラボを果たして新しいスタイルを模索してきたが、肝心の法要それ自体には朝倉さんが現れるまで誰も手をつけなかった。この功績は極めて大きい。
あと、今回、取材していてカッコいいなと思ったのは、朝倉さんにまったく気負いがないこと。若くて才能ある人に出会えば「面白いね」と評価し、真剣にノウハウを学ぼうとする。ニコニコ超会議では、僧俗の垣根も超えて、巨大なスクリーンを前にしたステージで、最新の技術を持つクリエイターとともにひとつの法要を作り上げた。クリエイターたちも日本的なものをベースにしたモノづくりを喜んでくれた。
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「進化しようと気負ったり、退化を恐れて萎縮したりする必要はないです。ただ、あらゆるものは諸行無常なので、変化し続けることは大切です」と朝倉さん。「お寺の荘厳が二千五百年前から存在したわけではありません。正信偈も『今様(いまよう)』という五百年前のはやり歌を採り入れたという歴史があります。だから、テクノ法要は『いまの今様』なんです」だと語る。その語気は淡々としているが、力強かった。
僧侶がクリエイターと協働するのは「昔から変わらないこと」だと、朝倉さんは指摘する。「仏像彫刻や寺院建築はクリエイターたちが担ってきた」からである。「単なるコンテンツ開発を目指すわけではなく、いかに仏教の本質を追求できるか」こそ、僧侶としての役目だという。「プロジェクションマッピングは暗いところに光をもたらものですが、私たち僧侶からすれば、自分自身の暗さや弱さを見つめ、阿弥陀如来の光に気づいていくものなんですね。そういう仏教的な世界をクリエイターたちとともに創って伝えていきたい」と朝倉さんは願っている。
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【著者】池口 龍法
1980年兵庫県生まれ。兵庫教区伊丹組西明寺に生まれ育ち、京都大学、同大学院ではインドおよびチベットの仏教学を研究。大学院中退後、2005年4月より知恩院に奉職し、現在は編集主幹をつとめる。2009年8月に超宗派の若手僧侶を中心に「フリースタイルな僧侶たち」を発足させて代表に就任し、フリーマガジンの発行など仏教と出合う縁の創出に取り組む(~2015年3月)。2014年6月より京都教区大宮組龍岸寺住職。著書に『お寺に行こう! 坊主が選んだ「寺」の処方箋』(講談社)、寄稿には京都新聞への連載(全50回)、キリスト新聞への連載(2017年7月~)など。
■龍岸寺ホームページ http://ryuganji.jp
■Twitter https://twitter.com/senrenja