今年2月、真打昇進とともに6代目神田伯山を襲名。もともと講談を志したキッカケは立川談志だったとし、「談志師匠の好きなもの全部好きになろう」と思っていたという。その中に講談があり、夢中になっていったのだとか。
そんな講談は昭和30年代、絶滅の危機に。今も落語の「寄席」はあるが、「講談場」はないという彼は、講談が廃れた理由として「結局つまんない」と指摘。そして、「たくさん良いところもあるし宝の山だが、もっとこういう見せ方をしたら一般の人にもわかるのに」と思っていたという。
その上で、伯山は「結局俺がやるしかないんだなと、生意気ながら思った」と思いを告げ、将来は「講談場」を復活させることと決意。現在、講談師は60~70人。それが200人になったら講談場を作れると語っていたが、阿川佐和子から「いつごろできる?」と聞かれた伯山は「30~40年後」と回答。阿川は「そんな先!?」と驚いていた。