30年前、震災報道の最前線にいた人々の“その後”は…MBS「阪神・淡路大震災30年」特集 | RBB TODAY

30年前、震災報道の最前線にいた人々の“その後”は…MBS「阪神・淡路大震災30年」特集

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発災から3カ月後、リポートする田中智佐子記者(1995年) (C)MBS
発災から3カ月後、リポートする田中智佐子記者(1995年) (C)MBS 全 4 枚
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 3月2日あさ5時45分より、「阪神・淡路大震災30年 報道の最前線にいた社員たちの未来への言葉」を特集した『MBSマンスリーリポート』(MBSテレビ)が放送される。

 同番組では1月と2月に、連続企画として「証言 阪神・淡路大震災30年 あの日を振り返る」を放送してきたが、今回は「その後」と「未来へ残す言葉」を取り上げる。

 30年前、震災報道の最前線にいた記者・アナウンサー・報道カメラマン・技術マンの8人に、それぞれ1時間以上にわたってインタビューを実施。震災時の報道が彼らの人生に与えた影響、そして次の世代へ伝えたいことが語られる。

(C)MBS
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 “地震記者”田中智佐子はラジオ報道に異動し、被災者や遺族と直接関わりを持つなか、「個人の物語」を伝えないと防災にはつながらないと痛感。そうした経験を経て、大学院で研究、博士号を取った。

発災から3カ月後、リポートする田中智佐子記者(1995年) (C)MBS

 また地震当日から放送を支えたアナウンサー・馬野雅行は、震災報道を経験したからこそ、「憶測でものを言ったことはない」と断言。震災が起きた年の春に神戸支局のキャップになり、「神戸支局からは、震災に関する“特集”を週に1本出す」ことを宣言した大牟田聡は、今もテレビが放送する情報はちゃんと裏取りされていることに自信を持っている。

 そして被災者でもある山田耕児は、しばしばメディアが「寄り添う」という言葉を使うことについて、「寄り添えない」「絶対に溝がある」と安易な使用に疑問を呈する。

《ハララ書房》

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