NewJeansがADORへ戻るまでの険しい1年を振り返る。
5人のメンバーは、“NewJeansの母”と呼ばれた元ADOR代表のミン・ヒジン氏に強い信頼を寄せていたが、最終的に彼女との再会は叶わず、ADOR復帰を選ぶことになった。ADORとの“全面戦争”を宣言してから、ちょうど1年。多くの傷跡が残る結果となった。

NewJeans、ADORを離れることを決意
2024年11月28日午後8時30分、NewJeansのメンバーは突然、緊急記者会見を開くことを決めた。ミン氏がADORを離れてから、約3カ月後のことだった。その場で5人は「29日午前0時をもって、NewJeansはADORとの契約を解除します」と宣言した。
メンバーが主張した専属契約解除の理由は“信頼関係の破綻”だった。ミン氏のADOR代表解任が最も決定的な要因だったという。彼女たちは、母親のように慕っていたミン氏が去ったADORに自分たちが残る理由はないと判断した。
しかしADOR側は法的対応で対抗した。同年12月、ADORはメンバーを相手取り「専属契約有効確認訴訟」を提起。さらに、ADOR側は本訴の結論が出るまで、メンバーによる単独活動を禁止する仮処分申請も提起した。
「脱ADOR宣言」…NewJeansが目指した“Jeans for Free”
裁判所はADORの仮処分申請を認め、メンバーたちがADORの同意なしに独自に活動した場合、1回の活動につきメンバーごとに10億ウォン(日本円=約1億円)の賠償が必要になった。これを受け、メンバーたちはADORが用意したスケジュールをこなしながらも、“脱ADOR”の動きを止めなかった。

専属契約解除を宣言した後、NewJeansは「@jeanzforfree」というインスタグラムアカウントを開設し、今年2月には「NJS」という新グループ名をを掲げた。さらに、3月には香港のアジアワールド・エキスポで開催された「ComplexCon」に出演し、新曲『Pit Stop』を披露した。
ADOR勝訴の末、戻ってきたNewJeans
今年4月に行われた初公判では、ADOR側はメンバーとの合意・調整に応じる意向を示したが、メンバーたちは態度を崩さなかった。彼女たちは「自分たちが記者会見をした2024年11月時点ですでに契約は解除されている」という主張を曲げず、9月に行われた2度目の調停でも、同様に合意には至らなかった。
続いて、10月30日に行われた判決で裁判所はADOR側の主張を支持した。裁判所はメンバーたちが一貫して強調してきたミン氏の解任について「これだけでは専属契約を違反したとは判断しがたい。ミン・ヒジンはNewJeansを守るためではなく、NewJeansの独立を目的として世論戦を行った」と説明した。また、訴訟費用はNewJeansの5人が負担するよう命じる判決が下された。
メンバーは即座に控訴の意思を示したが、控訴状は提出されなかった。そして、控訴期限を翌日に控えた11月12日、メンバーのヘリンとヘインがADORを通じて復帰の意思を表明した。さらにその直後、ミンジ、ハニ、ダニエルも代理人を通じてADORへ戻ることを発表した。
記者会見から約1年、決して平坦ではなかった“帰還”だった。NewJeansの5人がこれからどのような新しいページを刻んでいくのか、依然として未知数である。
◇NewJeans プロフィール
2022年7月22日にミュージックビデオを公開し、「NewJeans」として電撃デビューした5人組ガールズグループ。2004年生まれのミンジとハニ、2005年生まれのダニエル、2006年生まれのヘリン、2008年生まれのヘインで構成された。デビューアルバム『New Jeans』の発売と同時にライジングアーティストとして急浮上。デビュー曲『Attention』と『Hype Boy』が韓国Melonの「TOP 100」チャートで1、2位を記録した初のガールズグループとなった。またK-POPグループで初めてデビュー曲(『Attention』)がSpotifyの「ウィークリートップソング・アメリカ」にチャートインした。
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