IUとビョン・ウソク主演のドラマ『21世紀の大君夫人』は、高視聴率のまま幕を下ろした。
ただ、最後に残ったのは称賛だけではなかった。
5月17日に最終回を迎えた韓国MBCのドラマ『21世紀の大君夫人』は、最高視聴率13.8%を記録し、話題作として有終の美を飾った。
一方で、終盤に浮上した歴史考証をめぐる論争によって、制作陣が公式に謝罪する事態にもなった。
問題となったのは、第11話の即位式の場面だ。
イアン大君の即位式で、臣下たちが「万歳」ではなく「千歳」と叫んだことが指摘された。「万歳」は自主独立国の君主に対する表現であり、「千歳」は皇帝国に属する諸侯国が使う表現と見なされるため、韓国の自主的地位を傷つける描写ではないかという批判が出た。
さらに、イアン大君が皇帝の臣下である諸侯が着用する「九旒冕冠(きゅうりゅうべんかん)」を身につけていたこと、劇中で中国式の茶道に見える場面があったことも問題視された。

制作陣は、「世界観設定と歴史的考証の問題で心配をかけた」と謝罪。朝鮮の礼法が歴史の中でどう変化したのかを細かく見られなかったとし、再放送やVOD、OTTサービスでは問題となった部分の音声や字幕を修正すると明らかにした。
主演のIUも、自身の誕生日イベントでドラマをめぐる反応に触れ、「もっと責任感を持って頑張る」と涙ながらに語った。ただし今回、注目したいのは俳優個人の責任ではない。
むしろ問うべきなのは、なぜ韓国ドラマ、とりわけ時代劇やフュージョン時代劇で、同じような歴史論争が何度も繰り返されるのかという点だ。
「フィクションです」では済まない時代劇
『21世紀の大君夫人』は、正統時代劇ではない。
ロマンスであり、現代的な設定も取り入れた代替歴史物に近い作品だ。だから制作側としては、ある程度の創作やアレンジが許されると考えていたのかもしれない。

しかし視聴者が反応したのは、物語全体の架空性ではなく、王の即位式、称号、礼法、衣装、茶道といった歴史的な記号だった。
ここに、韓国時代劇が抱える難しさがある。
ドラマがどれほどフィクションを掲げても、王、宮廷、即位式、礼法、使臣、衣装といった要素が出てくれば、視聴者は現実の歴史と結びつけて見る。特に朝鮮王朝と中国王朝の関係に触れる描写は、単なる考証ミスでは済まされにくい。
朝鮮王朝が明や清を中心とする冊封体制の中にあったことは、歴史的事実だろう。当時の東アジアには、現代の主権国家同士の対等外交とは異なる秩序があった。朝鮮は明や清の皇帝を中心とする外交儀礼の中で使臣を迎え、冊封を受け、さまざまな礼法や制度の影響も受けていた。
だが、その歴史的事実をドラマでどう見せるかは、極めてセンシティブな問題となる。
現代韓国社会では、王が中国皇帝の下に置かれているように見える描写や、韓国文化が中国文化の一部のように見える描写に非常に敏感だ。歴史上、中国王朝との関係があったこと自体よりも、それが現代の文脈で「韓国の主体性を低く見せる描写」として読まれることが議論となる。
『21世紀の大君夫人』の「千歳」や「九旒冕冠」が燃えたのも、そのためだろう。
制作側に強い意図があったとは考えにくい。とはいえ視聴者から見れば、王の即位式という象徴的なシーンで、韓国の王権が中国皇帝の下にあるように見える記号が置かれてしまった。だから批判は単なる小さな考証指摘ではなく、「自主性を損なう描写ではないか」という反発になった。
同じような論争は、『21世紀の大君夫人』だけではない。
少女時代・ユナとイ・チェミンが主演した『暴君のシェフ』も、大ヒットの最中に歴史歪曲論争に巻き込まれた。

問題となったのは、朝鮮の王・燕山君と明の使臣が並んで上座に座り、料理人たちの腕前を評価する場面だった。劇中、王と使臣を並べることで緊張感を演出していたが、一部では「朝鮮王と明の使臣が同等の権威を持つように見える」と批判された。
また、燕山君が明の使臣に頭を下げるように見えるシーンにも、史実とは違うという反応が出た。朝鮮王が明の皇帝の勅書を受け取る際に跪く儀礼はあっても、使臣個人に直接頭を下げる姿は歴史的に確認しにくいという指摘だ。
この作品の場合、原作者は後に『国朝五礼儀』を根拠に反論した。外国使臣を接待する宴会では、使臣と王が同じ高さで向かい合って座る座席配置があり、これは国力や主権とは関係なく、当時の外交儀礼として理解すべきだという説明だった。
つまり『暴君のシェフ』は、単純なミスと断定しにくい。むしろ、史料に基づく考証、ドラマ的演出、現代視聴者の主権感情がぶつかったケースといえる。歴史的に説明できる描写であっても、現代の視聴者には「中国の使臣が王と同格に見える」こと自体が不快に映ることがあるのだ。

しかも『暴君のシェフ』はNetflixでも大きな人気を集めたヒット作だった。
ここも重要だ。いまの韓国ドラマは、韓国国内だけで消費されるものではない。Netflixやディズニープラスなどを通じて、世界中の視聴者に見られる。だから韓国の視聴者は、「外国人がこれを史実だと思ったらどうするのか」という不安も抱きやすい。
ヒットすればするほど、歴史描写への視線が厳しくなるのはそのためだ。
前代未聞の放送中止にまで発展したケースも
韓国時代劇の歴史論争で、最も象徴的な例は『朝鮮駆魔師』だろう。

2021年に放送されたSBSドラマ『朝鮮駆魔師』は、初回放送直後から歴史歪曲論争に巻き込まれ、最終的に放送中止となった。歴史歪曲論争によってドラマが廃止された、極めて異例のケースだった。
同作は、太宗や忠寧大君など、韓国人に広く知られる実在の歴史人物を登場させながら、悪魔払いを題材にしたファンタジー時代劇として作られた。
ところが、外国人司祭を接待する食卓が中国風に見えること、巫女の衣装などにも中国風の要素があることが批判を浴びた。当時、韓国ではキムチや韓服をめぐる中国との文化起源論争が強まっており、いわゆる「文化東北工程」への反発が高まっていた。
その空気の中で、『朝鮮駆魔師』の中国風の演出は、単なる美術上の選択ではなく、「韓国の歴史や文化を中国化している」と受け止められた。

制作側は謝罪し、問題場面の修正や放送休止、再編集を約束した。それでも反発は収まらず、広告主の撤退も相次ぎ、最終的に放送そのものが中止された。
これは、韓国時代劇において「中国風に見える」ことがどれほど大きなリスクになったかを示した出来事だった。
『哲仁王后~俺がクイーン!?~』も、同じ文脈で語ることができる。
同作は中国ウェブドラマのリメイク放映権を購入して企画されたフュージョン時代劇だった。しかし、原作小説の中国人作家に過去の嫌韓発言疑惑が浮上し、さらに劇中で『朝鮮王朝実録』を「ただの怪文書」と表現したことが批判を浴びた。
実在の王や王妃をコメディ的に扱ったことも問題になった。
制作陣は公式に謝罪し、問題となったモノローグを削除。さらに、歴史上の人物や事件を否定的に表現する意図はなかったと説明した。

ここでも制作側は、ファンタジー、コメディ、フュージョン時代劇というジャンル性を前提にしていた。しかし、視聴者はそこに実在の歴史人物、実在の記録、そして中国原作という文脈を見た。
つまり、正統時代劇ではないから安全なのではなく、むしろフュージョン時代劇ほど危ないともいえる。
創作の自由が大きいぶん、制作側は史実との距離を自由に取れると思いやすい。しかし視聴者は、衣装、用語、史書、王族の描写、食文化、茶道、礼法の一つひとつを歴史記号として受け取る。そこで現実の歴史や文化感情とズレると、すぐに「歪曲」として燃える。
『21世紀の大君夫人』も同じだ。
代替歴史物であり、ロマンスであり、フィクションであっても、王の即位式を描くなら、その場面は現実の歴史と照合される。そこで「千歳」や「九旒冕冠」が出れば、視聴者は単なる小道具ではなく、歴史認識の問題として受け止める。
韓国時代劇が抱える問題は、歴史考証だけではない。時代劇らしさを作るための演出そのものも、いまは厳しく問われる。
その代表例が、KBSの大河ドラマ『太宗イ・バンウォン』の落馬シーンだ。同作では、落馬シーンを撮影するために、馬の足をワイヤーで縛り、強制的に転倒させていたことが発覚した。放送後、この馬が死亡していたことも明らかになり、韓国社会に大きな衝撃を与えた。
制作側は謝罪したが、批判は収まらなかった。動物保護団体は撮影方法を動物虐待だと批判し、俳優・女優たちもSNSで怒りを表した。その後、制作スタッフには動物保護法違反で罰金刑が言い渡されている。
これは歴史歪曲の問題ではない。だが、時代劇が「リアルな落馬」を見せるために何をしてよいのかという、演出倫理の問題だった。

さらに『高麗契丹戦争』でも、原作者が落馬シーンやキャラクター改変に強い不満を示した。原作にない顕宗の落馬や、実際の歴史人物の描き方に対して、「歴史的事実を十分に熟知していない」と批判したのだ。
ここから見えるのは、韓国時代劇がいま、二重の監視にさらされているということだ。
ひとつは、歴史をどう描くか。もうひとつは、歴史らしさを作るために、どんな演出をしているか。視聴者は、考証だけでなく制作過程や倫理にも目を向けるようになっている。
なぜ同じ問題が繰り返されるのか
では、なぜ韓国時代劇では同じような問題が繰り返されるのか。
理由のひとつは、朝鮮王朝の歴史そのものが、現代韓国の主権意識とぶつかりやすい構造を持っているからだ。
朝鮮王朝は、明や清を中心とする東アジアの国際秩序の中にあった。中国王朝の礼法や外交儀礼の影響を受けていたことも事実だ。だが現代韓国では、そうした関係が「中国に従属していたように見える描写」として示されることに強い抵抗感がある。
そのため、ドラマが中国風の衣装、茶道、食卓、称号、席次、礼法を不用意に配置すると、制作側の意図とは別に、視聴者は「韓国の歴史や文化を中国の下に置く描写ではないか」と受け止める。
もうひとつは、韓国ドラマが世界配信される時代になったことだ。

国内向けの時代劇であれば、「韓国人なら文脈をわかって見るだろう」と済まされた部分も、世界の視聴者が見るとなれば話は変わる。韓国視聴者は、外国人がドラマの描写をそのまま史実と誤解することを警戒する。だからこそ、グローバルヒット作ほど、歴史考証への視線が厳しくなる。
さらにSNSの存在も大きい。
かつてなら見過ごされたかもしれない衣装や台詞、小道具の違和感が、放送直後にキャプチャされ、史料と比較され、拡散される。専門家だけでなく、歴史好きの視聴者も即座に検証に参加する。制作側が「フィクションです」と説明する前に、世論が形成されてしまう。
その意味で、『21世紀の大君夫人』の謝罪は、また一つの考証ミスとして片づけるには象徴的だ。
高視聴率で終わった作品でさえ、歴史記号の扱いを誤れば謝罪に追い込まれる。いまの韓国時代劇は、面白さだけでなく、歴史をどう借りるのか、どこまで創作として許されるのか、その覚悟まで求められるといえるかもしれない。
時代劇は、過去を描くジャンルだ。韓国では、その過去が現在の主権意識、文化論争、国際的な視線と直結している。だからこそ、たった一つの称号、たった一つの席次、たった一つの衣装や茶道でも、大きな論争に発展する。
『21世紀の大君夫人』の謝罪は、韓国時代劇がいま置かれている難しさを、またしても浮き彫りにした出来事だった。
■【画像】ワイヤーで足を縛り転倒させて落馬シーンを撮影、馬は死亡…韓国ドラマ側に非難殺到


