最初は、冷めた目で見ていた。
BTSという存在に、どこか身構えていた。
世界中のファンが熱狂し、記録を塗り替え、巨大な市場を動かすK-POPグループ。その姿を、あまりに商業的で、あまりに作り込まれた“セレブ崇拝”のように感じていた。
そんな懐疑から始まるエッセイが最近、米メディア『VOGUE』に掲載された。
筆者は、韓国系アメリカ人の作家、Jezz Chung氏。記事のタイトルは「Confessions of a Former BTS Skeptic」、つまり「元BTS懐疑派の告白」だ。
元BTS懐疑派の告白
その「告白」によると、Jezz Chung氏は5月、米ラスベガスのアレジアント・スタジアムで行われたBTSの「ARIRANG」ツアーを訪れた。
会場には6万人の観客。色を変えるライトスティックがスタジアムを巨大な星座のように照らし、スタジアム中央には360度ステージが設けられていた。

そこにいたChung氏は、自らを「選んで来たというよりは偶然に近い形で会場に来た、無関心な観客」と描いている。
BTSに対して抱いていたのは、熱狂ではなく警戒感だった。音楽というより、「利益を最大化するために設計されたアート」であり、「セレブ崇拝の機械を養い、親密さのシミュレーションを届けるためのもの」という見方を持っていた。
ところが、公演が進むにつれて、何かが変わった。Chung氏は記事のなかで、「私は分析するのをやめた」と書いている。
この一文が、「告白」全体の核心だろう。
BTSのステージを前にして、批評的に距離を取ろうとしていた視線が、いつの間にか熱気の中に飲み込まれていく。観客の歓声、会場全体に広がる喜び、周囲を見渡すたびに目に入るアジア系の観客たち。そこに、単なるコンサート以上のものを見たわけだ。
それは「仲間意識と集団性」、そして「共通の情熱に根ざした共同体感」だった。
BTSの魅力は、歌やダンスの完成度の高さだけではない。7人のパフォーマンス、シンクロ率、華やかな演出、カリスマ性の強さも「告白」から伝わってくる。しかしChung氏がより強く惹かれたのは、メンバー同士の関係性だった。
RM、JIN、SUGA、J-HOPE、JIMIN、V、JUNG KOOK。彼らが互いに向ける視線、冗談、支え合い、舞台裏映像で見せる親密さ。そうしたものが、ファンにとっては単なる“推し”以上の意味を持つ。
Chung氏は、BTSが提示しているものを「意味のある友情」「共通の夢に向けた継続的な努力」「衝突後の修復」「相互依存的なケア」、そして「互いの所属感」だと捉えている。

この指摘を受ければ、BTSの魅力は音楽のうまさだけでは説明しきれない。孤独や分断が語られやすい時代に、彼らは「誰かと一緒にいること」「支え合うこと」「共通の夢を見ること」を、極めてわかりやすい形で提示しているわけだ。
興味深いのは、Chung氏が単純にBTSを礼賛しているわけではない点だろう。「告白」では、K-POPが抱える複雑さにも触れている。
Chung氏は、K-POPには「文化的真正性」や「過剰消費主義」、大衆の持続的な注目を生み出すための「労働搾取」をめぐって、考えるべきことが多くあるとも書いている。さらに、ブラックカルチャーについても「盗用、オマージュ、賞賛の境界線はどこにあるのか」と問いかけている。
BTSを好きになったからといって、そうした問いが消えるわけではない。むしろ、その複雑さを認めたうえで、それでも自分がBTSに惹かれてしまったことを、Chung氏は正直に書いている。
そこに、この「告白」の説得力がある。
BTSの引力
もうひとつ、この「告白」を単なるライブ体験記にとどめていないのが、Chung氏自身の韓国系アメリカ人としての記憶だ。
同氏は、かつて自分が「母のはっきりとしたアクセント」や「韓国名」から距離を置いていたと振り返っている。さらに、家に非アジア系の友人が来たとき、作りたてのキムチや発酵大豆の匂いを説明しなければならないことを恥ずかしく感じていたとも書いている。
つまり、この「告白」で語られるBTSとの出会いは、単なる「人気グループを好きになった」という話ではない。かつて自分のなかで距離を置いていた韓国的なものが、いま世界的なポップカルチャーとして受け入れられている。その変化を、Jezz Chung氏は自身の記憶と重ねている。

実際、同氏はBTSについて、多くのメンバーがインタビューや出演時にも母語である韓国語を話し、韓国的アイデンティティや価値に関わるテーマを大胆に表現しながら、世界的な支持を得ている点に「深い象徴性」があると見ている。アルバム名『ARIRANG』についても、韓国の民謡に由来するものとして触れている。
BTSに懐疑的だった筆者が、なぜその熱狂を理解するに至ったのか。そこには、音楽やファンダムだけでなく、移民的な記憶、韓国文化の世界的受容、そして人々が求めるつながりの感覚が重なっている。
完全体で復帰したBTSには、いまや外部からも多くの意味が重ねられている。韓国のソフトパワー、国家ブランド、K-POP産業の象徴、そしてアジア系表象の希望。ひとつのグループに背負わせるには、重すぎるほどの役割だ。
だがChung氏の「告白」が示しているのは、その重さとは別の場所にあるBTSの引力でもある。
同氏は、6万人の観客が集まったスタジアムで、色を変えるライトスティックが星座のように広がる光景を見た。そして観客の歓声や会場全体に広がる喜びのなかで、「私は分析するのをやめた」と書いている。

Chung氏の読みを踏まえれば、BTSは、いま多くの人が日常で見つけにくくなった友情や所属感、そして“誰かとともにいること”への希望を映し出しているといえる。
だからこそ、元懐疑派の筆者は、気づけば「目覚めるときも眠りにつくときも、BTSの動画を見るようになっていた」。
BTSは、疑っていた人さえも巻き込む。その理由は、彼らが単なるスターではなく、人々が失いかけている“つながり”を想像させる存在になっているからなのかもしれない。
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