
後期高齢者医療制度の加入者189万人のビッグデータに基づいたエビデンス
2025年5月14日
早稲田大学
長期化するコロナ禍で高齢者による受診控えは起こったのか?
-後期高齢者医療制度の加入者189万人のビッグデータに基づいたエビデンス-
詳細は早稲田大学HPをご覧ください。
発表のポイント
●コロナ禍が長期化する中での高齢者の受診控えは、将来的な健康リスクや医療費の増加につながる懸念があります。
●本研究では、パンデミック収束期における高齢者の受診控えを把握するため、後期高齢者医療制度(※1)の加入者189万人の約1億9千万件の医療レセプトと所得情報が結合されたビッグデータを使った分析を行いました。
●分析の結果、まん延防止等重点措置(※2)の下でも外来受診はわずかに減少しただけで、1日当たりの医療費には大きな変化は見られませんでした。
●歯科以外の医療サービス利用には所得による大きな差がなく、国民皆保険制度がコロナ禍のような危機的状況下でも医療アクセスの公平性を担保していたことがわかりました。
●一方で歯科診療では、感染の深刻化に伴い低所得層で受診控えの傾向が顕著にみられました。
●本研究は、パンデミック後期における医療サービスの高齢者の利用状況について新たな知見を提供するものです。世界で最も高齢化が進んでいる日本の経験は国際的にも有益です。
●研究結果は、公衆衛生上の危機や自然災害などの収束期や復興期における医療政策のあり方に重要な示唆を与えます。
コロナ禍の長期化に伴う高齢者の受診控えは、将来の健康リスクや医療費増加につながる懸念があります。本研究では、後期高齢者医療制度の加入者189万人分の医療レセプトと所得情報を用い、パンデミック収束期(図1)の受診行動を分析しました。その結果、まん延防止等重点措置下でも外来受診の減少は軽微で、1日当たりの医療費にも大きな変動は確認されませんでした。また、歯科以外の医療サービス利用には所得差がほとんど見られず、コロナ禍における国民皆保険制度による医療アクセスの公平性が示唆されました。一方、歯科診療では低所得層で顕著な受診控えがみられました。
この研究成果は、早稲田大学商学学術院の富蓉(フ・ヨウ)准教授、同学大学院商学研究科の劉思哲(リュウ・シテツ)氏、同学教育・総合科学学術院の及川雅斗(オイカワ・マサト)講師(テニュアトラック)、同学政治経済学術院の野口晴子(ノグチ・ハルコ)教授、同学人間科学学術院の川村顕(カワムラ・アキラ)教授らの研究グループによるものです。
本研究成果は、2025年4月22日(現地時間)にネイチャー・リサーチ社発行の『Scientific Reports』誌にオンライン掲載されました(論文名:Healthcare utilization among Japanese older adults during later stage of prolonged pandemic)。
【画像:https://kyodonewsprwire.jp/img/202505138682-O1-W5KI28mf】
図1:新型コロナウイルス感染者数と政府の緊急対応策
図1のグレーの部分は本研究の対象期間を示す。図Aの縦軸は感染者数、図Bの縦軸は緊急事態宣言(State of Emergency: SoE)とまん延防止等重点措置(States of Precautionary Emergency:SoPE)を実施した都道府県の数を示す。 出典:
(1) MHLW. (2023d). Visualizing the data: information on COVID-19 infections. https://covid19.mhlw.go.jp/extensions/public/en/index.html (アクセス日:2025年5月9日)。データ収集は2023年5月7日、新型コロナウイルス感染症が5類感染症に変更されたことにより終了。
(2) Cabinet Agency for Infectious Diseases Crisis Management. (2023). COVID-19 Countermeasures. https://corona.go.jp/emergency/。但し、現時点ではアクセス不可。
(3) 内閣感染症危機管理統括庁、https://www.caicm.go.jp/index.html(アクセス日:2025年5月9日)
これまでの研究で分かっていたこと(歴史的な背景など)
パンデミック初期には、感染への恐れや緊急事態宣言の影響により、世界各国で医療機関の受診控えが見られました。日本においても、2020年に発令された緊急事態宣言の下、さまざまな医療サービスの利用が大幅に減少しました。こうした受診控えは特に高齢者において顕著であり、慢性疾患の管理や必要な受診の遅延による健康への悪影響が懸念されました。パンデミック初期の受診控えについては多くの研究が存在する一方で、コロナ禍が長期化する中、パンデミック後期における医療サービスの利用状況、特に世界で最も高齢化が進んでいる日本に関する知見は限られていました。
今回新たに実現しようとしたこと、明らかになったこと、新しく開発した手法
本研究では、コロナ禍が長期化する中、感染収束期においてもパンデミック初期に発生したような高齢者による医療サービスの受診控えが起こっていたのかという疑問に答えるため、後期高齢者医療制度の加入者約189万人の約1億9千万件の医療レセプトと所得情報が結合されたビッグデータを使った分析を行いました。この時期は、比較的毒性の弱いオミクロン株の出現と流行、ワクチン接種の急速な普及、そして、緊急事態宣言からより緩やかなまん延防止等重点措置への移行などによって特徴付けられます。
分析の結果、以下の点が明らかになりました:
●まん延防止等重点措置が実施時は、医療サービスの利用が全体で0.73%ポイント、外来受診で0.77%ポイント減少していたことがわかりました。これはパンデミック初期の受診控えと比べると、ごくわずかな減少幅に留まっています。このように、わずかながら受診控えが起こった一方で、1日当たりの医療費にはほとんど変化が見られなかったことから、受ける医療サービス内容は変わらなかったことを示しています。
●高齢者の居住地域での、まん延防止重点措置実施と医療サービス利用との関係は、その地域での感染状況によって異なっていました。感染状況が深刻化している地域で措置が実施されていなければ、医療サービスの利用が減少するのに対し(図2のパネル(1)、中央段)、措置が実施されている場合には、高齢者の医療サービス利用が増加に転ずることがわかりました(図2のパネル(1)、最下段)。つまり、措置の実施により、高齢者の公衆衛生上の安全プロトコルへの信頼、医療供給体制の危機管理能力、高齢者自身によるリスクに対する適応能力が改善・向上したことをあらわしている可能性があります。
●図2が示すように、異なる所得階層間で、歯科以外の医療サービスへのアクセスに大きな差はありませんでした。このことは、国民皆保険制度が、コロナ禍などの公衆衛生上の危機や自然災害などの有事の際に必要な医療サービスへのアクセスの公平性を担保し、所得などの社会経済的状況の差による健康への被害を最小化するのに相当程度機能したことを示唆しています。
●他方で、歯科診療では、感染拡大下でまん延防止等重点措置が実施された場合、低所得層(Q1)の受診回数の減少幅が-0.217%ポイント(図2のパネル(4)、最下段)と最も大きく、高所得層(Q5)の-0.140%ポイントと比べると、その差は顕著でした。まん延防止等重点措置が実施されない場合でも、同様に、低所得層(Q1)で-0.084%ポイント、高所得層(Q5)で-0.069%ポイント(図2のパネル(4)、中央段)と、歯科診療については、措置の実施の有無にかかわらず、低所得層ほど感染拡大に伴う受診控えが深刻であることがわかりました。
【画像:https://kyodonewsprwire.jp/img/202505138682-O2-iv4980VT】
図2:所得階層別の医療利用パターンの違い
図2は、政府対策実施の有無による医療サービスの利用と1日当たり医療費の差を、5分位所得階層別に示している。縦軸は、①「SoPE」がまん延防止等重点措置が実施された場合、②「Cases w/o SoPE」が感染が拡大する中でまん延防止等重点措置が実施されなかった場合、③「Cases w/ SoPE」が感染が拡大する中でまん延防止等重点措置が実施された場合をそれぞれ示す。横軸は、①~③について、(1)医療サービス全体、(2)入院、(3)外来、(4)歯科それぞれの利用確率の差、及び、 (5)医療サービス全体、(6)入院、(7)外来、(8)歯科の1日当たりの医療費(単位:万円)の差額を示す。たとえば、①では、まん延防止等重点措置の実施された場合、実施されたなかった場合に比べ、各医療サービス利用に何%ポイントの差があり、1日当たりの医療費が何万円の差があったかを示す。
研究の波及効果や社会的影響
本研究が得た結果は、感染症のみならず自然災害などが発生し影響が長引く場合、その収束期や復興期における医療政策のあり方に重要な示唆を与えます。特に、21世紀に一層深刻化するグローバル・エイジングのもと、世界で最も高齢化が進んでいる日本の経験は国際的にも有益な教訓となるでしょう。本件急が示唆する社会的影響としては以下が考えられます:
●コロナ禍が長引き人々が「パンデミック疲労」(※3)に陥る中では、まん延防止等重点措置に代表される安全性強化プロトコルとモバイルサービスや遠隔医療などを活用した柔軟な医療提供との組み合わせによって、医療サービスへのアクセスを維持促進することが、受診控えを抑制する有効な手段となりうる
●国民皆保険制度は、有事に際し必要な医療サービスへのアクセスの公正性を担保し、所得など社会経済的状況の差による健康への被害を最小化する役割の一端を果たす
●高齢者、子ども、障がい者など健康リスクの高い人々の医療サービスの利用状況を平時からモニタリングし、有事の際、早期発見・早期警告できるようなシステムの構築が求められる
●有事の際、歯科診療などをはじめとする予防的医療サービスへのアクセスに格差が生じさせないための支援策の充実が必要
課題、今後の展望
本研究にはいくつかの限界があります。まず、分析の対象はコロナ禍が収束するパンデミック後半まで生き延びた高齢者に限定されるため、受診控えが健康に与えた影響を過小評価している可能性があります。また、リスクに対する認識などの個々の受診行動に影響を与える可能性が高い要因を考慮していません。残る課題としては、死亡や新たな疾患の発生などの健康アウトカムを検証することが求められています。高齢社会における公衆衛生上の危機や自然災害など有事への備えとして、高齢者、子ども、障がい者など健康リスクの高い人々の医療アクセスを担保するための政策的アプローチの開発と評価が重要な課題となるでしょう。
研究者のコメント
本研究では、長期化する公衆衛生上の危機に際し、高齢者がどう医療サービスを利用したかを明らかにしました。日本の国民皆保険制度は相当程度寄与していることが分かりましたが、他方で歯科診療などの予防的医療で社会経済的格差が存在することもわかりました。地球環境が大きく変動する中で、今後、同じような危機が発生することが予想されます。COVID-19パンデミックの経験と知見を、将来私たちが直面するであろう健康危機に対応可能な医療システムの強化に活かしていかなければならないと考えています。
用語解説
※1 後期高齢者医療制度
75歳以上の高齢者を対象とした日本の公的医療保険制度。2022年9月時点で約1,852万人(日本の75歳以上人口の98.6%)が加入している。
※2 まん延防止等重点措置
新型コロナウイルス感染症対策特別措置法に基づく、緊急事態宣言より制限が緩和された措置。飲食店の時短営業や人数制限などを都道府県知事が要請できる。
※3 パンデミック疲労
WHO(2020)では、さまざまな感情や経験、認識に影響を受けることによって、時が経つにつれて徐々に現れてくる推奨される予防行為を守る意欲の喪失と定義されている。
(website: https://iris.who.int/bitstream/handle/10665/335820/WHO-EURO-2020-1160-40906-55390-eng.pdf (アクセス日:2025年4月27日))
論文情報
雑誌名:Scientific Reports
論文名:Healthcare utilization among Japanese older adults during later stage of prolonged pandemic
執筆者名(所属機関名):富蓉(早稲田大学商学学術院)、劉思哲(早稲田大学大学院商学研究科)、及川雅斗(早稲田大学教育・総合科学学術院)、野口晴子(早稲田大学政治経済学術院)、川村顕(早稲田大学人間科学学術院)
掲載日時: 2025年4月22日(現地時間)
掲載URL: https://www.nature.com/articles/s41598-025-98908-x
DOI:https://doi.org/10.1038/s41598-025-98908-x
研究助成
研究費名:厚生労働科学研究費補助金(政策科学総合研究事業)
研究課題名:レセプトデータ等を用いた、長寿化を踏まえた医療費の構造の変化に影響を及ぼす要因分析等のための研究(政策変更を「自然実験」とする弾力性の推計に係る実証研究)(22AA1002)
研究代表者名(所属機関名):野口晴子(早稲田大学政治経済学術院) 厚労科研費:22AA1002
キーワード
コロナ禍、後期高齢者、受診控え、医療サービスへのアクセスの公平性、まん延防止等重点措置、国民皆保険制度、歯科診療、所得階層間での受診格差、ビッグデータ、医療レセプト