川島なお美、鎧塚氏に遺言「あなたの作品としておいしくお皿の上に乗ります」
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“遺言”は夫でパティシエの鎧塚俊彦氏へ宛てたもので、鎧塚氏が経営する“一夜城ヨロイヅカファーム”のファームガーデンを「私の夢」とし「あなたの作品としておいしくお皿の上に乗ります」とガーデンを自らの“生まれ変わり”として育て発展させてほしいという願いがつづられていた。
番組は鎧塚氏へのインタビューと再現ドラマを組み合わせて、2013年8月の腫瘍発見から2015年9月24日の死去までの闘病の模様を紹介。
川島さんが愛したという軽井沢の別荘でインタビューに答えた鎧塚氏は、川島さんの死後遺品を整理している際に見つけたという日記の存在を明かす。TV初公開されたその日記には腹腔鏡手術の前日「私はまだ生きます。女優としてもっと可能性を広げたい」と生涯女優であることにこだわり続けた川島の想いが書き記されていた。
また医師から「手術後の5年生存率は50%」という厳しい現実を突き付けられた川島さんだが、2014年のクリスマスには「東京オリンピックを絶対見るんだ」と夫婦で誓ったことも明かされた。東京オリンピックは手術を受けた6年後の開催となるため見ることができれば5年生存率50%の壁を超えて生き抜いたことになる。
しかし病状は悪化。“激ヤセ”と報道された9月7日のイベントの数日前には4.6リットルもの腹水を抜く手術を行ったもののイベント当日には再び腹水が溜まり出し12日にはまた4.6リットルの腹水を抜いたことも明かされた。
さらに番組では亡くなる8日前に鎧塚氏に送られた「かなりかなりやばい。乗り切れるかわからない」というLINEも公開。この頃にはアンモニアで脳がまひしてセリフが思い出せなくなるほどに病状は悪化していたという。
そして9月24日に川島さんは54歳の若さで永眠。川島さんは昏睡状態で目覚めるはずがなかったにもかかわらず「最後は目を見開いて鎧塚氏を見つめた」という。
その目は「舞台のような本当に強い目」でそれを見た鎧塚氏が「頑張れと繰り返していたら先生が“10分前に亡くなられてます”と言われた。手に握って目を見開いたのが最後の瞬間だったんです」と鎧塚氏は涙とともに最期の瞬間を振り返り「何かを託された気がしている。川島なお美を演じきったんじゃないか」と語った。
川島さんは“一夜城ヨロイヅカファーム”から見下ろす相模湾が好きだったそうで「何かあったら私は蝶になってここに戻ってくる」と語っていたという。日記に遺された“遺言”にも「私は蝶となって咲きみだれるお花から花へと舞い、毎年咲く桜となって花ふぶきをお客様に散らし、たわわに実る果実となってあなたの作品として、おいしくお皿の上に乗ります」と“ガーデンファーム”に託した想いがつづられていた。
《笠緒》
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