篠原涼子、歌手から女優への転機を語る「群馬に帰る勇気がなくて…」
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篠原涼子が、24日放送の『ボクらの時代』(フジテレビ系)に出演。歌手から女優への転機を語った。
コント番組『ダウンタウンのごっつええ感じ』(同系)に出たのは17歳のとき。ダウンタウンら大物と共演したことについて篠原は「いい経験だった」「人生の一部」と語った。ただもともとは歌手志望だったため、当初は「なぜコントをやってるんだ?」という思いもあったものの、卒業が決まったときは「やめたくなかった」という。
その後、20歳で小室哲哉プロデュースの「愛しさと切なさと心強さと」が200万枚の大ヒット。日本の女性ソロ歌手としては初めてCDシングルのダブルミリオン記録を打ち立てた。
だが小室から離れて歌手活動を続けると売れなくなり、「私じゃないんだ、小室哲哉さんで売れてたんだ」と自覚。本当は歌をやりたかったものの、限界を感じたと言う。そんな時、たまたま舞い込んでいた芝居の話があったという篠原。「小心者だから、群馬なんですけど、群馬に帰る勇気がなくて…」と、芸能界引退までは決めきれなかったと話した。
そして、「もうちょっと頑張りたいなという思いから、なんでもいいからやらせていただく」と、オファーのあった芝居の話も受け、以後もどんな仕事も断らないようにしたと振り返っていた。
コント番組『ダウンタウンのごっつええ感じ』(同系)に出たのは17歳のとき。ダウンタウンら大物と共演したことについて篠原は「いい経験だった」「人生の一部」と語った。ただもともとは歌手志望だったため、当初は「なぜコントをやってるんだ?」という思いもあったものの、卒業が決まったときは「やめたくなかった」という。
その後、20歳で小室哲哉プロデュースの「愛しさと切なさと心強さと」が200万枚の大ヒット。日本の女性ソロ歌手としては初めてCDシングルのダブルミリオン記録を打ち立てた。
だが小室から離れて歌手活動を続けると売れなくなり、「私じゃないんだ、小室哲哉さんで売れてたんだ」と自覚。本当は歌をやりたかったものの、限界を感じたと言う。そんな時、たまたま舞い込んでいた芝居の話があったという篠原。「小心者だから、群馬なんですけど、群馬に帰る勇気がなくて…」と、芸能界引退までは決めきれなかったと話した。
そして、「もうちょっと頑張りたいなという思いから、なんでもいいからやらせていただく」と、オファーのあった芝居の話も受け、以後もどんな仕事も断らないようにしたと振り返っていた。
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