【仏教とIT】第8回 世界よ、もっとナムくなれ | RBB TODAY

【仏教とIT】第8回 世界よ、もっとナムくなれ

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【仏教とIT】第8回 世界よ、もっとナムくなれ
【仏教とIT】第8回 世界よ、もっとナムくなれ 全 4 枚
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トレンドになった「#ナムい」



 いま、知恩院のライトアップイベントが連日バズっている。伝統ある総本山でありながら「攻めの姿勢」が素敵だとか、お坊さんが持っているスマホケースに書かれている南無阿弥陀仏がクールだとか、フライヤーに使われている「#ナムい」というワードがキャッチーだとか。

 ツイッターユーザーはこのような知恩院の姿勢を「攻めてる」と評し、ハッシュタグ「#ナムい」を使い始めた。すると、気になるのが「#ナムい」のルーツである。検索をかけてタイムラインをさかのぼると、浄土系アイドル「てら*ぱるむす」なるものが存在して、浄土系アイドルおよびその周辺で「#ナムい」が使われてきたという新しい事実に出会う。しかも、もろもろの衝撃のあまり「#ナムい」を使ってツイートすると、当の浄土系アイドルがハッシュタグに反応して、「いいね」を押すから余計に盛り上がり、浄土系アイドルに監視されていると評判になる。浄土系アイドルの一人、文殊菩薩の化身である文殊たまは「いいね」をしすぎてファボ規制されたとか。それぐらい「#ナムい」はトレンドになった。また、この現象を的確にまとめた以下のツイートまでも話題になった。






浄土系アイドルと「#ナムい」



 ありがたいことに、「#ナムい」がトレンドになると、私が住職をつとめる龍岸寺のホームページもPVが伸び、私のツイッターのフォロワー数もじわじわ伸びる。なぜなら、浄土系アイドル「てら*ぱるむす」は龍岸寺を拠点に活動しているからである。つまり、文殊たまを含むアイドルメンバーは日々、龍岸寺で歌やダンスの練習をしている。また、ときどきライブも行っている。アイドルたちに「#ナムい」はいつから使ってるのかと聞いたら、昨年9月の以下のツイートが始まりだと教えてくれた。





 時代をあまりに先取ったこのツイート、本稿を書いている時点ではわずか2リツイート――悲しいことにまるで話題を呼ばなかったのである。さらに、「#ナムい」とはどういう意味で、またどういうタイミングで使うべきかも聞いたら、以下のブログにまとめてあると教えてくれた。




「#ナムい」は「南無阿弥陀仏」「南無妙法蓮華経」「南無釈迦牟尼仏」などの「南無(なむ)」を形容詞にしたものだという。仏教ではいろんなものに「南無」をつけて敬い、感謝の気持ちをささげてきた。したがって、「#ナムい」の意味は、「敬う」「尊い」だけでなく、「ありがとう」なども含まれるので、簡単には定義しにくいのだとか。言い出した本人たちが明確な言葉の定義を避け、多様な使い方をうながしてきたのも、「#ナムい」が広まった理由のひとつかもしれない。


なぜお寺でアイドル?



 それでもまだ謎は残る。
 「お寺でなぜアイドル?」という謎である。
 往々にして住職である私がアイドルヲタクだと思われているのだが、私はまったくそういう趣味を持たない。きっかけは、2年あまり前にお寺を訪ねてきた女子大生が「お寺でアイドルやりたいです」と言い放ったことである。通常の住職なら顔をしかめるだろうこの提案に対して、私はエモさを感じて「おもろいやん」と返した。そのようなやりとりから数ヵ月して、2016年11月、浄土系アイドルが龍岸寺の本堂に顕現する運びとなった。以来、お寺文化を広めることや衆生(ファン)とともに修行することなどをコンセプトに、お寺やライブハウス、地域のお祭りなどで、ライブ活動を展開してきた。

 いま振り返れば、「お寺でアイドルやりたい」「おもろいやん」というやりとりも、その後の浄土系アイドルの活動も、「#ナムい」を追い求める旅だったのだと気づく。お寺的にエモいものを求めてきた結果、活動開始から1年ぐらいが経ったときに、「#ナムい」というタグが生まれ、そして、今年、知恩院が使ったことで大騒ぎになるほどバズった。 


「#ナムい」タグが埋めた言葉の隙間



 そんなわけで、「#ナムい」の“生みの親”は浄土系アイドル「てら*ぱるむす」であり、そして、この卵を一気に孵化させた“育ての親”は知恩院だということになる。

 今回の「#ナムい」騒動はつまるところ、お坊さん5人がジャンプしている「知恩院秋のライトアップ2018」のメインビジュアルが、現代人の感覚として象徴的にナムかったということだと思う。格式ある総本山がこれだけ気軽に人々を受け入れてくれると気づいたとき、多くの人々の心のなかでなにかが解き放たれたのだろう。誰しもお寺に行けば、手を合わせて拝む。拝んだときには尊いものや敬うべきものを感じて心に湧き上がる感情がある。しかし、「ありがたい」のような形式ばった言葉をのぞけば、この感情をうまく表現する言葉がなく、また気軽に語ったら叱られる空気もあったから、そっと心にしまっておくだけだった。そのもどかしい状況を打ち破ったのが「#ナムい」だった。おまいりしたときの高揚感をふわっと語る言葉が突如として現れたのである。
 それにしても、言葉ひとつでかくもお寺が身近になるのかと、私は今回痛感させられた。お坊さんの法話のなかで語られる重たい言葉はたくさんあるが、「#ナムい」のような柔らかくてしかも仏教の香りを含んだ言葉は意外にない。新聞やテレビなどのマスメディアは宗教色の強い報道や企画を嫌うが、ツイッターをはじめSNSは宗教のことを自由に語れる言論空間である。「#ナムい」タグをはじめ、さまざまなお寺タグが登場して私たちの心の奥にある感情が語られる、世界がもっとナムくなっていくことを願う。

池口 龍法氏
池口 龍法氏

【著者】池口 龍法
1980年兵庫県生まれ。兵庫教区伊丹組西明寺に生まれ育ち、京都大学、同大学院ではインドおよびチベットの仏教学を研究。大学院中退後、2005年4月より知恩院に奉職し、現在は編集主幹をつとめる。2009年8月に超宗派の若手僧侶を中心に「フリースタイルな僧侶たち」を発足させて代表に就任し、フリーマガジンの発行など仏教と出合う縁の創出に取り組む(~2015年3月)。2014年6月より京都教区大宮組龍岸寺住職。著書に『お寺に行こう! 坊主が選んだ「寺」の処方箋』(講談社)、寄稿には京都新聞への連載(全50回)、キリスト新聞への連載(2017年7月~)など。
■龍岸寺ホームページ http://ryuganji.jp
■Twitter https://twitter.com/senrenja

《池口 龍法》

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