志らくは大学4年生だった1985年、憧れの立川談志に入門。だが談志は「飢えと貧乏を知らないと落語は語れない」として数々の厳しい“掟”を弟子たちに課していたという。例えば「アルバイト禁止」、「毎月1万円の上納金」、さらには談志宅では食事もタダでは食べられなかったという。
そこで志らくは当時の食生活について、「お金がないから、ホームベーカリーに行ってパンの耳をもらうんですよ。それを食べてるような生活でしたね」と回顧。
さらには「金魚すくいをやってね、先輩の談春(兄弟子の立川談春)と」と切り出し、つかまえた何十匹もの金魚を前に「兄さん、5~6匹ちょっと残して焼いたら食えるよ」と談春に提案したこともあったという。こうした貧しい時代は2年ほど続いていたというが、共演者は「究極ですね」と驚いていた。