本橋選手は2006年19歳でトリノ冬季オリンピックカーリング競技女子の部に出場し7位。そして2010年、バンクーバー冬季オリンピックカーリング競技女子の部に出場するも8位に終わった。本橋は当時をふり返り「思い描いているものが夢の夢で終わってしまった」と話す。この時、衝撃を受けたのがスウェーデンのチームだ。「スウェーデンの選手はトリノで優勝し、バンクーバーで同じメンバーで優勝。その4年間で出産して子育てして、またアイスに戻ってきてる姿を見て、すごいいいな、カラフルだなと思った」「私たちはカーリングが人生っていう形で、そこにとらわれてしまいすぎて自分の人生は二の次だった」「なるべく女性の人生の中でうまくフィットできるようなチームを作りたいなと思った」と話した。
「チームを作るときに大切にしたのが、一人の個性をつぶさないということ」「よくOne Teamっていうんですけど、言葉を間違えると、一色に染めるのか一人ひとりがチームのために頑張れるのかって全然違うので……」と本橋。この言葉の意味は重い。チームの吉田知那美も「カーリングが人生なんじゃなく、人生の1つのページの中にカーリングがあるっていう考え方を、本橋選手はよく言ってくれていて」「カーリングにかかわる全てを肯定するというのがチームの軸としてある」と話した。
広瀬アリスは「一人の女性として人生を楽しもう」という本橋選手の姿勢に、「涙がでてきそう」とし「考え方っていうのがすべての仕事の方に通じるものだと思う。それで行き詰っている人は絶対いっぱいいるので……、ありがとうございました」と話した。