阪神淡路大震災の被災経験をいまの子どもたちへ!MBS大吉洋平アナが“語り部” | RBB TODAY

阪神淡路大震災の被災経験をいまの子どもたちへ!MBS大吉洋平アナが“語り部”

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 17日15時40分からMBSで放送の『よんチャンTV』では、阪神淡路大震災の日にあわせて、「大吉チョイス」(18時15分頃)というコーナーで震災について取り上げる。

 同コーナーでは、大吉洋平アナウンサーが、母校である神戸市須磨区の松尾小学校を訪問し、「語り部」となって当時被災した経験をいまの子どもたちに伝える。大吉アナウンサーは同小学校の出身で、9歳の時に被災した。これまで震災の日には母校を訪ねる取材を検討し、学校側と打ち合わせてきたが、先生も児童もこの学校で当時何が起きたかを知らず、写真も残っていなかった。今の教頭先生も震災時は高校生で、大吉は当時の現場を知る数少ない人物。

 番組では、大吉の個人的記憶ではあるものの、当時学校が給水所になったことや当時の状況などを全校児童の前で話すことに決定。「甚大な被災現場ではないものの、そこには確実に震災は起きていた」ーーそして、今、関係者は誰も起きていたことを知らない。いまだからこそ伝えられる「リアルな震災の話」とは。大吉アナウンサーは、番組について次の通りコメントしている。

【大吉アナウンサーコメント】
 地震の後、小学校も水は出ず蛇口から褐色のさび付いた水が流れていたことをよく覚えています。校庭は給水所になって、自衛隊の車が並んでいた。とても寒い中、みんなで水をもらいにいったのですが、誰も地震を意識していなかったので、水汲みのためのポリタンクなんか持っていませんでした。そのため、プラスチックの衣装ケースから衣装を取り出して水を貯めるため持ってきた人や、鍋に水を汲んで何往復もした人もいました。私もきょうだい3人で何往復もしました。わたしの親が神戸市の小学校の教師で、その学校が避難所になったため、親はそこに行きっぱなしで、わたしは近所のおばちゃんにみてもらっていました。また、近所の友だちの家で過ごすことも多かったのですが、あるときNHKが読み上げていた死者の中に、近所の、自分たちが通った保育園の先生の名前が聞こえました。見ていた全員が絶句しました。そのときの空気をとてもよく覚えています。そういう身近な人が亡くなる、ということが突然目の前に突き付けられました。

 小学校が再開し、とてもよく覚えているエピソードがあります。先生が一人一人点呼していくのですが、目が真っ赤になっていました。たぶん「生きていてよかった」と思いながら、一人ずつゆっくり名前を呼んで、声をかけながら、点呼をすすめていたのだと思います。さらに時が経って、灘区や東灘区、長田など被害の大きかった地域から引っ越してきた児童たちが多くいました。そういう子たちにどのように声をかけるか、子どもながらに気をつかっていました。しばらくして、引っ越してきた児童の一人が作文を発表し、家が燃えて失った事などを泣きながら話していたときの教室の様子をとてもよく覚えています。

 将来、必ず大きな地震が来ると言われています。水のことだったり、家族との連絡方法だったり、もしもの時に近所の誰に頼れるのだろうとか、小学生ながらに、想像して考えてみてほしいと思います。私の神戸の知人などの中には「地震のことは話したくない」と言っている人もいます。今回、偶然ですが母校で、自らの言葉で伝える機会をいただいて、とてもありがたいです。風化させないような波を毎年作っていきたいと思います。

《KT》

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