「公益活動か、それとも“セルフ免罪符”か」
麻薬事件で社会的非難を浴びた韓国芸能人たちが続々と復帰している。
音楽活動にテレビ復帰。「薬物予防を訴えている点は公益的」と評価する声がある一方、大多数の世論は「自己弁護に過ぎない」「時期尚早だ」と冷ややかな視線を送っている。
新曲発表に「反省は?」
まず、麻薬使用により執行猶予付きの有罪判決を受けた歌手ナム・テヒョンは、自粛期間を置かず活動を継続。最近は自作の新曲『RAIN』を発表した。執着や混乱をテーマにしているという同曲について、「雨の日にふと感じた感情を綴ったもの」だと説明している。

問題視されたのはそのタイミングだった。ナム・テヒョンは現在も執行猶予中であり、さらに最近は飲酒運転で新たに立件された“問題児”。6月27日未明、ソウル市内で中央分離帯に衝突する事故を起こし、呼気からは免許取消相当(血中アルコール濃度0.08%以上)の数値が検出された。警察は逮捕状を請求したが、裁判所はこれを棄却している。
なお彼は、2023年にも飲酒運転による略式起訴で罰金刑を受けた前歴がある。麻薬に続き2度目の飲酒運転を起こしたにもかかわらず、新曲発表やライブ復帰を強行する姿勢に対し、一部では「共感も反省も見えない」「司法リスクをアートで包み隠すな」と批判があがっている状況だ。
「捕まってなければ死んでいた」
続いては、麻薬投薬により懲役2年の実刑判決を受け、今年2月に刑期満了で出所したドン・スパイクだ。出所後はソウル・梨泰院(イテウォン)で静かに飲食店を経営しつつ、事実上の自粛状態が続いていたが、7月24日公開のYouTube番組『ジャンルだけ汝矣島』で突如メディア復帰を果たした。
番組内で彼は、「もしも逮捕されていなければ死んでいたかもしれない。今は依存症回復支援団体に通い、回復の道を歩んでいる」と明かし、自身の経験をもとに薬物予防の必要性を強調した。また、「今はSNSを開くだけで簡単に薬物にアクセスできてしまう。強い警戒心が必要な時代だ」と警鐘も鳴らした。

復帰にあたり「公益的な意味合いがある」と強調したが、ネット上では冷ややかな反応が目立つ。「14回も投薬しておいて予防伝道師?」「今や薬物も“コンテンツ”になるのか」といった皮肉交じりの声に加え、「犯罪者がテレビで免罪符を得ているかのように映る」「被害者がいなくても、こんな題材でコンテンツ化する必要はない」との批判も相次いでいる。
繰り返される“復帰論争”
ナム・テヒョンとドン・スパイク。ともに“麻薬”という重い過去を背負いながら再び公の場に立ち始めた2人は、それぞれ「回復の途中」だと訴えているが、世論は「言葉ではなく行動で誠意を示すべき」と厳しく見ている。
特にナム・テヒョンは“回復の物語”を語りながらも、そのさなかに新たな違反行為(飲酒運転)を起こした。そしてドン・スパイクもまた、10年前に大麻で罰金刑を受け、今回が再犯であるという点で信頼は底を打っている状態だろう。
専門家は、「芸能人による“回復の物語”は単なる私的な反省では済まされない。社会的な影響力を持つ存在である以上、繰り返した過ちに対する責任と再発防止の実践が、公の場で継続的に示される必要がある」と強調する。また、薬物というセンシティブな問題が“ヒーリングストーリー”や“自分語りコンテンツ”に変質してしまうリスクについても警鐘を鳴らしている。
ネット上でも、「犯罪者が音楽や番組で“復帰”する時代なのか」「14回も投薬しておいて、出所したらすぐマイクを握るなんて…薬物がコンテンツ化されてる」といった批判の声に加え、「公益性と免罪符の境界線はどこにあるのか」「反省と回復を、本当に行動で示してほしい」といった意見も多く見られる。
結局のところ、問われているのは「彼らに再び大衆の前に立つ資格があるのかどうか」だ。その復帰が“真の公益”なのか、それとも“自分に都合のいい免罪符”なのか。世論が二分される背景には、「犯罪のその後の人生」が、今なお不快感を与える存在として映っていることがある。
自粛の“期間”ではなく、“行動”で示す。信頼とは言葉で得られるものではなく、時間をかけて積み重ねた“変化した生き方”によって初めて証明できる。いま求められているのは、その覚悟だ。
(記事提供=OSEN)