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【仏教とIT】第11回 「#僧衣でできるもん」に寄せて

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【仏教とIT】第11回 「#僧衣でできるもん」に寄せて
【仏教とIT】第11回 「#僧衣でできるもん」に寄せて 全 2 枚
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僧衣は運転に適さない?



いまどき檀家さんはお寺周辺に住んでいると限らないから、法事や葬式などの読経にうかがうときの移動手段はもっぱら車である。お坊さんとして生きていくためにまず取得するのは僧侶資格であるが、その次に必要になるのは自動車の運転免許だといっていいぐらい、お寺は車社会である。

それにもかかわらず、昨年末から車で檀家さんのご自宅にうかがうと「車で来られたのですか?大丈夫ですか?」と心配される。「あ、ニュース、ご覧になられました?でも普段着でうかがったら雰囲気が台無しでしょう?」などと返す。



果たして、僧衣は運転に適するのかどうか。
昨年9月、福井県内の四十代男性僧侶が、僧衣を着て車を運転し、違反切符を切られた。同県の規則では「運転操作に支障を及ぼすおそれのある衣服」で運転することを禁じており、警察官はこれに該当すると判断したわけである。

私のこれまでの経験に照らしていえば、僧衣での運転に不自由を感じたことはない。唯一、困るのは腕にかけた数珠である。右折や左折のとき、数珠がハンドルにからまって支障をきたすおそれがあるため、たもとに入れるようにしている。しかし、それ以外の点においては、気になるところはない。垂れ下がったたもとがなにかに引っかかることはないし、草履を履いていてもアクセルおよびブレーキ操作はスムーズにこなせる。普段着のときとまったく変わらないパフォーマンスで運転できていると思う。

だから、「運転操作に支障がある」と取り締まられるなら、私のみならず、お坊さんたちは当惑するしかない。そこで、麻田弘潤さんが僧衣でリップスティックに乗った動画をアップしたのを皮切りに、一芸に秀でたお坊さんたちがハッシュタグ「#僧衣でできるもん」をつけた動画をTwitterに投稿して抗議の意を示しはじめた。




ジャグリング、縄跳び、綱渡りなど、そのパフォーマンスは多岐にわたり、「かくし芸大会」のような盛り上がりを見せた。Twitter上でのパフォーマンスで民意をつかみ、メディアからの注目を喚起させるという、バラエティ色の強い抗議の仕方を批判する声も寄せられたが、あまりに盛り上がったがゆえの反動だろう。

このような抗議が実ったのかどうかはわからないが、1月26日に福井県警は、一転して「違反事実が確認できなかった」と送検しない方針を明らかにした。私もこのニュースを読んだときほっと胸をなでおろした。


さらに機能的な僧衣を求めて



実は、僧衣のスタイルは、お釈迦さまの時代から不変のものではない。時代に応じて革新されてきた。

私たちが“街歩き”用に着用している僧衣は、改良服(ただし浄土宗の呼び方)という。この呼称は、明治38年に浄土宗僧侶の黒田真洞によって、「講演執務旅行等簡単なる服装の場合に着するもの」として、改良されたことにちなんでいる。正式な僧衣に比べれば、衣の襞(ひだ)も省略されているし、たもともコンパクトになっている。この改良のおかげで、運転にも支障ない現在のスタイルになった。

また、京都で株式会社昌慈法衣店をいとなむ昌子久晃さんに聞くと、「現代の生活に合う僧衣を求める声は日々お坊さんから寄せられます。駅で階段上る時に衣を踏んで転びそうになってしまったから工夫してほしいとか、バイクに乗っていてコートの袖から風が入らないように細工してほしいとか、棚経用で動き回るから白衣・衣は短めにしてほしいとかです」と僧衣開発の実状を教えてくれた。

臨済宗の僧衣に見られる「玉だすき」。左右の袖を背中部分でつなげられる仕組みになっている


このように改良を続けられている僧衣であるが、一方で、お寺のなかの姿はあくまでも、「変わらない」装いを求められる。したがって、僧衣の改良は、明治時代に改良服が考案されたときのようなメジャーチェンジではなく、細部をブラッシュアップする程度のマイナーチェンジに留まる。そうすると、春夏秋冬にモデルチェンジされて性能が向上されるスマホなどに比べれば、革新がなかなか追いつかない。僧衣を着ている時にはスマホをたもとに入れるのが常であるが、マナーモードにしていると、幾重にもなった僧衣が振動を吸収して肌につたわりにくく、着信に気づかないことも多い。

また、これは例外的な事例かもしれないが、本稿はじめ執筆などの仕事もしている私は、ところかまわずノートPCでタイピングしている。法要中でも広報用の素材写真を撮りためておきたいから、隙を見つけては一眼レフをかまえる。最近はスタビライザーやらマイクやらライトやらをつけて動画を撮ることもある。そうすると、これはこれで伝統的な僧衣と仰々しい撮影機材とのミスマッチ感があり、好奇の視線を浴びることになる。カメラをかまえるときに身をかがめて大胆なアオリ構図で被写体を狙いたくても、僧衣だと裾がはだけるからどうしても限界がある。

今回は無事に「運転に支障がない」という判断になったが、これに満足することなく、発売され続けるIT機器を使用するうえでも支障がないように僧衣が改良されていくなら、私としては大変ありがたい。せっかく「#僧衣でできるもん」で華麗なパフォーマンスがクローズアップされたいまだからこそ、そのような願いを綴っておきたい。

池口 龍法氏
池口 龍法氏

【著者】池口 龍法
1980年兵庫県生まれ。兵庫教区伊丹組西明寺に生まれ育ち、京都大学、同大学院ではインドおよびチベットの仏教学を研究。大学院中退後、2005年4月より知恩院に奉職し、現在は編集主幹をつとめる。2009年8月に超宗派の若手僧侶を中心に「フリースタイルな僧侶たち」を発足させて代表に就任し、フリーマガジンの発行など仏教と出合う縁の創出に取り組む(~2015年3月)。2014年6月より京都教区大宮組龍岸寺住職。著書に『お寺に行こう! 坊主が選んだ「寺」の処方箋』(講談社)、寄稿には京都新聞への連載(全50回)、キリスト新聞への連載(2017年7月~)など。
■龍岸寺ホームページ http://ryuganji.jp
■Twitter https://twitter.com/senrenja

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