【視点】三重県の町工場から生まれた「魔法のフライパン」の開発秘話
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■3倍難しいことをやれるかどうか
錦見氏が魔法のフライパンづくりの第一歩を踏み出したのは1992年のこと。錦見鋳造は錦見氏の父親が経営する小さな鋳物屋だった。当時職人は5人で、錦見氏は専務兼職人として、メーカーから仕事をもらって会社を回していた。自動車のエギゾーストマニホールドなどの部品を当時は主に作っていた。
バブルが崩壊した当時、メーカーからの要求は厳しくなる一方だった。「値下げをしてくれ。嫌ならやめてもいい。代わりならいくらでもいる」。何度となくそんな言葉を浴びせられたという。
そんなころ、ある新聞記事が目にとまった。”どんな業界でも生き抜くためには、価格競争ならば他社より3分の1安くするか、技術競争ならば他社より3倍難しいことをやれるかどうか”。「これだ! と思いました。価格競争はキリがない。それならうちは他社よりも3倍難しいことをしよう、と」。このときから錦見氏の自社製品づくりがはじまった。
■重さという「弱点」を克服
これまで培ってきた技術を活かせる鉄鋳物の製品で、かつ、多くの人に使ってもらえるものを自社製品にしよう。そこで、食事に関係するものがいいと考えた。鉄鋳物でフライパンを作ってみようと気がついたのだ。
鉄鋳物には一般的な鉄には含まれない炭素が含まれる。製造過程で、鉄と炭素の境界(すきま)。この穴に油を馴染ませることで、焦げ付きにくいフライパンが作れる。また遠赤外線効果によって、素材の中までしっかりと火が通る。テフロンなどのコーティング加工が施されたアルミ製フライパンは軽いが、焦げ付きにくくするコーティングの寿命はおよそ1年と短く、頻繁に買い替えが必要になる。その点、鉄鋳物のフライパンは長持ちだ。
しかし、問題は重さだ。軽くするにはフライパンを薄くしていくことが必要となるが、そうすると割れやすくなる。一般的に鉄鋳物で外径26cmほどのフライパンを作ろうと考えたら厚さ5mm、重さ2~3kgが限界とされていた。そこで錦見氏が目指したのは、強度を保った薄く、軽いフライパンだ。
錦見氏は鉄を溶かし、型に流し込むといった作業を毎日繰り返した。薄い型の隙間に1500度にもなる鉄を流し込むとき、すこしでも手元が狂うと型からあふれ出てやけどをする。錦見氏の体には今でもいくつものやけどのあとが残っている。また、強度を保つため、鉄の中に入れる炭素などの配合を微妙に変えながら試した。わずかな割合の違いで、穴が開いたり、フライパンの形にならなかったりと、大きな差が生まれた。
費用もかかった。試作品を一度作るだけで材料費が約20万円。少量だとグラファイト(黒鉛の結晶)を凝固させる化学反応が起きて破裂してしまう恐れがあるため、一度に200kg程度、20万円の原料を使う必要があった。気がつくとかかった費用は2000万円にのぼっていた。当時社長だった父親からは何度も開発をやめるよう言われた。「いまさら鋳物のフライパンなんて」と、周囲も反対ムードだった。それでも「引くつもりは一切ありませんでした」と錦見氏。鉄鋳物フライパンのよさはきっと理解される、と信じていた。約3年の歳月を経た1995年、外径26cm、厚さ2mm、重さ1200gの鉄鋳物製フライパンを作れるまでになった。
■プロの料理人は絶賛したが
「このフライパンを試してもらうには一流のシェフに使ってもらうのが一番だと思いました」と錦見氏。向かったのは宮中晩餐会なども手がける高級ホテルのシェフのもとだった。評価は上々。それどころか「フライパンの革命」とまで言わしめた。その後、どこのホテルやレストランへ持っていっても高い評価を得た。このことが錦見氏にとって自信につながった。
タイミングよく、全国ネットのテレビや新聞といったメディアで取り上げられる機会があり、そこでもプロのシェフが絶賛してくれた。「家庭でプロ顔負けの料理ができる」という評判が広がり、全国から注文が殺到した。その数、ざっと2000個以上。工場は大忙しで、念願の下請け脱却はもう目の前だった。
しかし、3か月ほど経つと、注文はぱったりと途絶えてしまった。1200gのフライパンは、プロには歓迎されたが、家庭ではまだ少し重すぎたのだ。また開発の日々がはじまった。今度はさらに時間がかかり、ようやく外径26cm、厚さ1.5mm、重さは980gのフライパンを完成させたのは2001年。0.5mm薄くするために約6年の時間を費やした。「200g強という違いですが、毎日使うものだけあって、この微妙な違いが『使ってみたい』と思うかどうかを左右するんだと思います」(錦見氏)
■家庭で使える魔法のフライパン誕生
6年も経ってしまったので、かつての爆発的なヒットを覚えている人は少ない。あらためて、新しく生まれかわったフライパンを売り出していかなくてはいけなくなった。宣伝方法を見つけることができないまま、デパート回りをつづけていある日、一本の電話がかかってきた。
以前取材にきたテレビ局のディレクターだった。たまたま新しくなったフライパンをみかけたので、改めてテレビで紹介させて欲しいとのことだった。願ってもないチャンスだった。取材中、ディレクターが漏らした「まるで魔法のようですね」という一言をきっかけに、ブランド名を「尾張鉄器」から「魔法のフライパン」に変えた。これで固く、職人っぽいイメージから、より親しみやすく、覚えやすい名前となった。
「魔法のフライパン」としてテレビで紹介されたことで、再び注目されはじめた。大手ホームセンターの販売ランキングで上位にランクインすると、海外のバイヤーからも問い合わせがくるようになった。再び、工場は忙しくなった。
「待ってもらっているお客様に一日でも早く商品を届けたい」という錦見氏だが、実は“生産が追いつかないため、なかなか手に入らない”という希少性も、ユーザーの心をくすぐっているようだ。
錦見社長はホームページや、動画サイト、ブログなどで手入れや上手な使い方を丁寧に紹介している。また、毎日の料理が楽しくなるようにと、レシピブログを公開している。「週に3回、更新しています。ユーザーの9割が主婦なので、日々の献立を考える必要もなくなります。2010年ごろからはじめたのですが、今ではレシピの数も1000を超えました」。
この狙いは大当たりだった。会社には毎日のようにユーザーからの「今日のブログで紹介している料理を詳しく教えて欲しい」といった内容の問い合わせがくるようになり、SNSや口コミで認知度はどんどん高まっていった。ユーザーの目線に立ったこうしたきめ細かいサポートも魔法のフライパン人気を後押ししているようだ。
■世界の家庭で使われることを目指す
魔法のフライパンはこれまでに16万個を売り上げたが、現在も4万人が“待ち”の状態だ。錦見氏は「生産能力をもっと強化します。今は私にしかできない行程があるため、一日に100個までしか作れませんが、今後は現在の規模、人員でこれを3倍まで引き上げる予定です」と話す。
そして「魔法のフライパンを量産できる仕組みを作り、海外にも生産拠点を設けたい。世界中に魔法のフライパンを広めたいのです」と夢を話す錦見氏。海外からの問い合わせや注文も増えてきていることもあり、世界市場での手ごたえを感じているようだ。世界中のキッチンで、三重の町工場が生んだ魔法のフライパンが使われる日はそう遠くない。
~地方発ヒット商品の裏側~町工場の技術が生んだ「魔法のフライパン」
《DAYS》
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